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ブラック校則を単純に否定するのではなく、校則が生徒だけでなく学校の教育理念や社会的期待と結びついていることが分かります。ルールメイキングを安易に進める危うさと、学校が準備すべき視点を整理して理解できます。
近年、「ブラック校則」という言葉が社会的に広く知られるようになりました。髪型や服装、持ち物などについて、合理的な説明がなされないまま厳しく制限される校則が報道されるたびに、「それは本当に教育なのか」という問いが投げかけられています。こうした問題意識の高まりの中で、学校現場では「ルールメイキング」という考え方が注目されるようになってきました。
ルールメイキングとは、校則や学校の決まりについて、生徒と教員が対話を重ねながら、その在り方を考え、必要に応じて見直していく取り組みを指します。しかし、ここでまず強調しておきたいのは、ルールメイキングは決して万能な解決策ではないという点です。ブラック校則への反省から、「生徒と話し合えば解決する」「生徒に委ねればよい」といった安易な理解が広がることには、強い危うさを感じています。
本記事では、ブラック校則の問題を出発点に、ルールメイキングを教育として成立させるために学校がどのような準備を行うべきかについて考えていきます。
ブラック校則の問題は「厳しさ」ではなく「関係性」にある
ブラック校則が問題視される理由は、単に校則が厳しいからではありません。より本質的な問題は、そのルールがどのような過程で作られ、どのような説明がなされているのかという点にあります。
「なぜこのルールが必要なのか」「誰を、何を守るためのルールなのか」といった問いに対して、十分な説明がなされないまま運用される校則は、生徒にとって納得のしようがありません。その結果、校則は教育的な意味を失い、「怒られないために守るもの」「形だけ従うもの」になってしまいます。
これは規範意識を育てるどころか、ルールを回避する態度を助長する危険性があります。ブラック校則の問題は、校則の内容そのもの以上に、ルールと生徒との関係性が断絶していることにあると言えるでしょう。
校則は「生徒だけのもの」ではない
ここで、校則をめぐる議論において、あらためて確認しておきたい視点があります。それは、校則は決して生徒だけのためのものではないという点です。
校則は、学校が掲げる教育目標を実現するための一つの手段として位置づけられています。「どのような生徒を育てたいのか」「どのような価値観を大切にしたいのか」という学校の理想が、校則という形で具体化されている側面があります。
特に私立学校においては、建学の精神との結びつきが強く、生徒や保護者は学校の教育方針を理解した上で入学を選択しています。一方、公立学校においても、校則は地域社会の期待や公教育としての役割を反映したものとなっています。学校種別にかかわらず、校則は学校と社会をつなぐ共通理解を支える役割を担っているのです。
さらに、学校は地域社会や社会全体からの期待の中で存在しています。学校の校則には、保護者だけでなく、地域や社会が学校教育に求めている姿勢やモラルが反映されている場合も少なくありません。公共性をもつ教育機関として、学校が社会的な信頼を維持するための手段として、校則が機能している側面もあります。
ブラック校則を一律に否定してよいのか
この視点に立つと、「ブラック校則」という言葉で一括りにされがちなルールの中にも、慎重に見極めるべきものが含まれていることが分かります。確かに、時代錯誤のまま形式的に残り、結果として教育を生徒管理の道具にしてしまっている校則は、見直されるべきです。
しかし一方で、学校として譲れない価値観や、かつて大切にされてきた規範意識を育てようとする意図から生まれたルールも存在します。それらを「古い」「自由を奪う」という理由だけで否定してしまえば、学校が果たしてきた教育的役割そのものが空洞化してしまう危険もあります。
問題なのは、「古いか新しいか」ではありません。そのルールが、今の時代においても、学校の教育目標と結びつき、生徒にどのような力を育てようとしているのかを説明できるかどうかです。説明できないまま残っている校則は、ブラック校則と呼ばれても仕方がないかもしれません。しかし、理念に裏打ちされ、説明可能な校則までを一律に否定することは、教育の放棄につながりかねません。
ルールメイキングは「自由化」ではない
ルールメイキングという言葉が誤解されやすいのは、「校則を緩める取り組み」「自由を拡大する運動」と受け取られがちな点にあります。しかし、本来のルールメイキングは、ルールをなくすことや、すべてを生徒に委ねることを目的としたものではありません。
むしろ重要なのは、次のような問いを、生徒・教員・保護者が共通の土俵で考えるプロセスです。
- なぜそのルールが存在しているのか
- どの価値を守ろうとしているのか
- 今の生徒の実態や社会状況に合っているのか
このプロセスを欠いたまま、形式的に「意見を聞いた」「話し合った」だけでは、ルールメイキングは成立しません。
同時に、このプロセスは生徒にとって重要な学びの機会でもあります。ルールの背景を理解し、多様な立場の意見を聴き、合意形成の難しさを経験することは、民主的な社会を生きる力を育てます。ルールメイキングの本質は、生徒の主体性を育てながら、学校の教育目標との調和を図ることにあるのです。
東明館の実践に見る「準備されたルールメイキング」
こうした中で、示唆に富む実践として挙げられるのが、東明館中学校・高等学校の取り組みです。同校では、校則や学校の決まりを見直す際に、生徒の意見をただ集めるのではなく、「考えるための土台づくり」を何よりも重視しています。
具体的には、次のようなステップが踏まれています。いきなり「どう変えたいか」を問うのではなく、まず「なぜ今のルールが存在しているのか」「そのルールはどの価値を守ろうとしているのか」を生徒と共有します。また、安全や法令、学校として譲れない原則については、教員が責任をもって明確に示します。その上で、「どこから先は生徒と一緒に考えられるのか」を丁寧に区分していきます。
さらに、対話そのものを学習として位置づけ、意見の出し方や合意形成の方法について事前に指導が行われています。話し合いの結果、生徒の提案がそのまま採用されない場合でも、その理由を丁寧に説明する姿勢が徹底されています。これは、ブラック校則が生まれやすい「説明なき決定」とは明確に異なる点です。
こうした実践は、ルールメイキングが単なる「決定プロセスの民主化」ではなく、生徒の思考力や判断力を育てる教育実践であることを示しています。
ルールと共生――学校から社会へ
ここまで学校におけるルールメイキングについて考えてきましたが、この問いは学校の枠を超えて、私たちの社会全体が直面している課題とも深く結びついています。
たとえば、近年の日本社会では、多様な背景を持つ人々が共に暮らす場面が増えています。異なる文化や習慣を持つ人々との間で、「どのようなルールを共有するのか」「どう説明し、理解を促すのか」という問いに、私たちは日々向き合っています。
このとき、「日本のやり方に従うべきだ」という一方的な要求や、「ルールを守れないなら受け入れられない」という排除の論理に傾いてしまえば、対話は生まれません。これは、説明なきブラック校則が生徒との関係性を断絶させる構造と、本質的に同じです。
学校におけるルールメイキングは、「ルールを守れる人」と「守れない人」を分けるためのものではなく、「ルールを共有可能なものとして設計し直す」姿勢を育てる教育実践でもあります。ルールの背景を説明し、対話を通じて相互理解を深め、必要に応じて見直していく。この経験は、多様な人々が共生する社会において不可欠な力となります。
学校は社会の縮図であり、ここでどのような態度を示すかは、将来の社会の在り方にも直結します。
おわりに
ブラック校則をきっかけに、学校のルールを見直そうとする動きが広がっています。その流れ自体は前向きなものだと思います。しかし同時に、安易にルールメイキングを進めることの危うさにも、私たちは目を向けなければなりません。
校則は、生徒だけのものではありません。学校の教育理念、保護者の期待、地域や社会の価値観が重なり合って成立しています。だからこそ、ルールメイキングは「自由か管理か」という単純な対立ではなく、「どのような社会を育てたいのか」という問いとして、丁寧に進められる必要があります。
同時に、ルールメイキングは生徒の成長にとって貴重な学びの機会でもあります。対話と合意形成を通じて、民主的な社会を生きる力を育てること。それこそが、ルールメイキングの教育的意義なのです。
ブラック校則の問題も、多様な人々との共生の課題も、根底では同じ問いにつながっています。私たちは、ルールを通して、どのような人を育て、どのような社会をつくろうとしているのか。
学校は、その問いに向き合う最前線なのではないでしょうか。



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