この記事で分かること
・修学旅行が学習指導要領でどう位置づけられているか
・先進的な修学旅行の具体的な考え方
・引率教員として感じる修学旅行のリアル
・修学旅行を「教育」として成立させるための視点
修学旅行で起きた出来事が問いかけるもの–行事の「影」から考える–
2025年12月、大谷高校の修学旅行中に起きた窃盗に関する報道が、世間の注目を集めました。修学旅行という学校行事が社会的な話題として広く取り上げられたことは、多くの人にとって、「修学旅行=楽しい思い出」という固定的なイメージを改めて考え直すきっかけになったのではないでしょうか。
もっとも、この出来事を特定の学校や生徒の問題としてのみ捉えることは、必ずしも建設的ではありません。修学旅行は、どの学校においても実施されている「平素と異なる生活環境」での集団行動であり、生徒の判断力や規範意識、集団生活の在り方が強く問われる場です。今回の報道は、そのことを社会全体に可視化した事例の一つと受け止めることもできるでしょう。
修学旅行は、非日常の体験であるがゆえに、生徒の良さや主体性が発揮されやすい一方、日常生活では表面化しにくい課題が現れることもあります。だからこそ、修学旅行を単なる行事として消費するのではなく、「教育活動」としてどのように設計し、どのような学びにつなげていくのかが、学校や教員に問われています。
本稿では、こうした問題意識を出発点として、学習指導要領に示された修学旅行の位置づけを確認しながら、先進的な取り組みや引率教員としての現場の実感を通して、修学旅行の教育的意義について考察します。
修学旅行の教育的意義とは何か――学習指導要領に基づいて考える――
高等学校学習指導要領(平成30年告示)では、特別活動の一つである「旅行・集団宿泊的行事」について、次のように示されています。
平素と異なる生活環境にあって、見聞を広め、自然や文化などに親しむとともに、よりよい人間関係を築くなどの集団生活の在り方や公衆道徳などについての体験を積むことができるようにすること。
この一文は、修学旅行の目的が観光そのものにあるのではなく、体験を通して社会性や人間関係、公衆道徳を学ぶことにあると明確に示しています。修学旅行は、教室内の学習では得がたい学びを提供するために、教育課程上に位置づけられている行事なのです。
「平素と異なる生活環境」という言葉が示すように、修学旅行では生徒自身が判断し、選択し、行動する場面が豊富に生まれます。時間の使い方、集団での振る舞い、公共の場での行動など、どれもが生徒一人ひとりの意識に委ねられます。こうした経験を通してこそ、集団生活の在り方や公衆道徳は実感を伴って身に付いていくのです。
先進的な修学旅行に見る学習指導要領の具現化――具体的な学校の取り組みから――
近年、修学旅行を学習指導要領の理念に基づいて捉え直し、教育活動として丁寧に設計する学校が見られるようになってきました。そうした学校に共通しているのは、修学旅行を「決められた行程をこなす行事」としてではなく、「集団生活を通して学ぶ場」として明確に位置づけている点です。
その一例として挙げられるのが、横浜創英中学・高等学校の修学旅行の在り方です。同校では、生徒が受け身で行程を消化するのではなく、事前の指導や準備の段階から、自分たちの行動や集団としての在り方を意識できるような工夫が重ねられています。行程そのものは学校や教員が責任をもって設計しつつも、班別行動や集団生活の中では、生徒自身が考え、判断し、協力する場面が多く設定されています。
このような取り組みは、学習指導要領に示された「平素と異なる生活環境にあって、見聞を広める」「よりよい人間関係を築く」「集団生活の在り方や公衆道徳について体験を積む」というねらいを、無理なく具体化している実践だと言えます。修学旅行を特別な学習活動として切り離すのではなく、日常の学校生活で育ててきた力を、非日常の場で試し、深める機会として位置づけている点が特徴的です。
また、このような修学旅行では、トラブルを完全に排除することよりも、起こりうる課題にどう向き合うかが重視されます。集団行動の中で生じる意見の違いや判断の難しさは、生徒にとって決して楽なものではありませんが、そうした経験こそが、人間関係の在り方や社会性を実感を伴って学ぶ契機となります。教員はその過程を管理する存在ではなく、見守り、必要に応じて支える存在として関わっていくのです。
このように、先進的な修学旅行とは、特別なプログラムを導入することではなく、学習指導要領の言葉を踏まえ、生徒が集団の一員として成長する経験をどのように保障するかを考え続ける姿勢そのものだと言えるでしょう。
引率教員として経験した修学旅行のリアル
ここからは、私自身の引率経験を踏まえて、修学旅行の実際について述べたいと思います。
引率教員として修学旅行に関わる中で痛感するのは、修学旅行は生徒だけでなく、教員自身の姿勢も強く問われる行事であるということです。どれほど準備を重ねても、現地では必ず想定外の出来事が起こります。そのとき、どう判断し、どう関わるかが、修学旅行の教育的価値を大きく左右します。
特に難しいのは、「見守る」と「介入する」の判断です。すぐに指示を出せば安全で効率的ですが、それでは生徒が自分たちで考える機会を失ってしまいます。一方で、任せすぎれば大きな問題につながる可能性もあります。この微妙なバランスをどう取るかが、引率教員の重要な役割だと考えています。
修学旅行では、普段の教室では見えにくい生徒の姿が立ち現れてきます。集団の中で仲間を気遣う姿、初めての状況に戸惑いながらも対応しようとする様子、意見の違いを乗り越えて協力する姿勢など、修学旅行ならではの場面に数多く立ち会います。こうした成長の瞬間に寄り添えることが、修学旅行引率の大きな意義であると実感しています。
同時に、修学旅行では生徒の課題が明確に表れることもあります。時間管理の甘さ、他者への配慮の不足、公共の場でのマナーなど、日常生活では見過ごされがちな部分が、修学旅行という集中的な集団生活の中で顕在化します。しかし、これを否定的に捉えるのではなく、生徒が自分自身を見つめ直し、成長する機会として捉えることが重要です。
修学旅行を「教育」として成立させるために
修学旅行を教育活動として成立させるために重要なのは、「行って終わり」にしないことです。学習指導要領が示すように、修学旅行は体験を通して学ぶ行事であり、事前・当日・事後を一体として捉える必要があります。
事前指導の充実: 行程やルールを伝えるだけでなく、修学旅行の目的を生徒と共有することが欠かせません。なぜこの場所を訪れるのか、何を学ぶのか、どのような姿勢で臨むべきかを、生徒自身が理解した上で出発することが重要です。また、集団行動における役割分担や、起こりうる課題への対応についても、事前に考えさせることで、生徒の主体性を引き出すことができます。
修学旅行中の関わり方: 生徒に判断を委ねる場面を意図的に設け、教員は見守りながら支える存在であることが求められます。過度な管理は生徒の主体性を奪い、教育的効果を減じてしまいます。しかし同時に、安全面や教育的配慮から必要な場合には、適切に介入することも教員の責任です。このバランス感覚が、引率教員には求められます。
事後指導の重要性: 経験を振り返り、言語化することで、非日常の体験を日常の学びへとつなげていくことが重要です。レポート作成や発表活動、クラスでの共有などを通じて、体験を客観化し、今後の生活に活かせる学びへと昇華させることが求められます。特に、集団生活の中で感じたこと、学んだこと、改善すべき点などを振り返ることで、修学旅行の経験が一過性のものではなく、継続的な成長につながっていきます。
おわりに
修学旅行は、楽しい思い出づくりの場であると同時に、生徒が社会の一員として成長するための貴重な学びの場です。冒頭で触れた大谷高校の事例は、修学旅行が持つ教育的な課題を社会に問いかけるものでしたが、同時に、修学旅行という行事の持つ可能性を改めて考える契機でもありました。
修学旅行の教育的価値を最大限に引き出せるかどうかは、私たち教員の設計と関わり方にかかっています。学習指導要領の理念を踏まえつつ、生徒の実態に即した修学旅行の在り方を模索し続けること。そして、修学旅行を通して得られた学びを、生徒の日常生活や今後の成長につなげていくこと。これらが、今後の教育現場に求められていると考えます。
修学旅行は、単なる行事ではなく、生徒の人間的成長を支える重要な教育活動です。その本質を見失わず、一つひとつの実践を大切にしていきたいと思います。


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