突然の解放、そして感染の波

日本人学校

はじめに

2022年末、中国全体でゼロコロナ政策が突如終了し、それまで厳格だった健康コードやPCR検査、隔離措置が一斉に廃止されました。これにより、長く続いた緊張状態から一気に自由が戻ったかのように見えましたが、同時に、爆発的な感染拡大という新たな混乱に、私たちは直面することとなりました。

今回は、コロナ対策が終了した直後の学校現場の混乱、感染の波の中での教育活動、生徒・教職員の関わりの変化について振り返ります。


突如訪れた政策転換

2022年12月上旬、中国政府はゼロコロナ政策の終了を発表しました。これまで厳しく運用されていた健康コード(健康碼)やPCR検査の制度は、わずか数日で撤廃されました。私たちもこの急激な変化に戸惑いながら、急きょ日常の再構築を迫られました。

それまでは、朝の検温・PCR検査が日課となり、生徒も教職員も高い感染予防意識を保っていました。しかし、その対策が突然なくなったことで、学校全体に「次はどうなるのか」という不安と緊張が広がっていきました。


感染の波と学校運営の苦悩

生徒の陽性確認は日常茶飯事となり、教員に1人でも感染者が出ると、職員室内で隣接する座席の教員へと次々に広がっていきました。感染拡大のスピードは想像以上で、連日、生徒や教職員の欠席が相次ぎ、クラスの半分が空席になることも珍しくありませんでした。一部の授業は成立が難しくなり、学校全体で急遽オンライン授業へと切り替える対応を余儀なくされました。

職員室も例外ではなく、複数の教員が同時にダウンし、残った教員が互いに授業を分担して何とか乗り越えました。私は幸い感染しませんでしたが、体調が万全でない中でも「学びを止めたくない」とオンライン授業に取り組んでいた先生方の姿勢には、頭が下がる思いでした。


混乱の中の成績処理

感染拡大の中、何とか定期考査は実施できたため、その後の成績処理を行う必要がありました。特に高校3年生は、すでに協力大学などの推薦入試を終えており、家庭学習前の成績確定が急務でした。

陽性となった教員にも連絡を取り、教務処理の方法を確認したり、代理で出席状況を入力したりと、教務部は大忙しでした。教務担当は7名いたのですが、最終的な成績公開の段階では、私と教務部長である教頭のわずか2人だけとなってしまいました。


「学びを止めない」ための工夫

この時期に最も意識していたのは、「学びを止めない」ことでした。たとえ登校できなくても、オンラインを最大限に活用し、生徒が学び続けられる環境を整えるよう努めました。

また、生徒が授業を欠席しても次回の授業についていけるよう、復習の時間を多く取り、授業を1回完結型に構成するなど、工夫を凝らしました。

他の先生方も、TeamsやDingTalkを活用したオンライン授業や、個別のオンライン面談など、多角的な対応を行ってくださいました。限られたリソースの中でも、生徒が自分のペースで学べるよう心を配っていました。


経験を通じて得たもの

急激な政策の転換と感染の波に直面し、私たちは「柔軟性」と「支え合う力」の重要性を強く実感しました。

教員としては、生徒の学びだけでなく、心の状態や体調、家庭の状況にまで目を配る必要があり、その責任の重さと向き合う日々でした。一方で、生徒たちもこの経験を通して、「他者と支え合うこと」や「状況に適応する力」を自然と身につけていったように感じます。


おわりに

2022年末から2023年初頭にかけての数ヶ月は、前例のない混乱と対応の連続でした。しかし同時に、それは「教育とは何か」「学校とは何のためにあるのか」を見つめ直す、貴重な機会でもありました。

次回の記事では、感染状況が落ち着き、ようやく訪れた穏やかな日常の中で、赴任2年目に取り組んだ授業実践や、教科主任としての仕事についてご紹介します。生徒たちが少しずつ笑顔を取り戻していく姿とともに、教育の再出発の様子をお伝えします。

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