私は現在、高校数学で「主体的に学ぶ態度」を評定に使わないという選択をしています。 評価しないことで、かえって主体性が育つと考えているからです。
高等学校における観点別評価、とりわけ「主体的に学びに向かう態度」の扱いについて、私はここ数年、試行錯誤を重ねてきました。評価を丁寧に行おうとすればするほど違和感が生じ、生徒の納得感も十分に得られない。その経験を通して、現在は一つの評価観と実践指針にたどり着いています。
本稿では、高校数学という教科の特性を踏まえながら、次の3点について整理していきます。
- 主体的に学ぶ態度をどう捉えるのか
- なぜ数値化しないという選択をしたのか
- その代わりに、何を重視しているのか
評価とは「教育効果」を確かめる行為である
私の評価観の根底には、西岡加名恵先生の評価論から受けた影響があります。
西岡先生は、評価を「学習者を格付ける行為」ではなく、授業者が意図した教育効果が、どの程度実現されたのかを検証する営みとして捉えています。
この考え方に触れたことで、私自身の評価観も次のように整理されました。
教育とは、授業者が期待する教育効果をもって生徒に働きかける営みであり、評価とは、その働きかけがどこまで意味をもったのかを振り返る行為である。
評価は、生徒の内面や人格を測るためのものではありません。評価とは、授業者側が自らの教育実践を引き受けるための行為だと考えています。
主体的に学ぶ態度を「評価しよう」として感じた違和感
ここ5年間で、私は主体的に学ぶ態度に関して、さまざまな評価方法を工夫してきました。
ある年は、テスト後の振り返りによる自己評価と教員評価を組み合わせて、「学びを修正する力」を数値化しました。同時に、小テストと提出物の取り組みで「粘り強く学びに向かう力」を評価し、この2つを組み合わせて評定を出していました。
しかしこの方法は、複雑すぎて生徒が評価の妥当性を実感できませんでした。
また、自己評価は全体として高く出過ぎる傾向がありました。生徒は「良いと評価した方が成績が良くなる」と気づいているのです。本当の内省ではなく、戦略的な判断になっていました。
教員評価にも課題がありました。一斉授業の中では生徒一人ひとりの学びを見取ることが難しく、客観性が乏しいと感じていたのです。
現任校では、小テストと提出物だけで評価する方式を取っていますが、これは逆に教員の見取りが入らないという課題を感じています。
つまり、どの方法を取っても、次のような構造的な問題が残るのです。
- 複雑にすると、生徒が納得しにくい
- 自己評価を入れると、戦略的になる
- 教員評価を入れると、客観性が保てない
- 小テストと提出物だけでは、見取りが浅い
これらは、運用の工夫で解決できる問題というより、主体性という性質そのものを評価しようとすることの構造的な限界だと感じるようになりました。
主体性を評価すると、主体性が消えた
主体性とは本来、内発的な営みです。自分で考え、自分で判断し、自分で学びを修正する。そういう性質のものです。
ところがこれを評価や評定に結びつけた瞬間、生徒の主体性は「評価されるための行動」へと変質します。
つまり、主体性を評価しようとすると、主体性は他律的なものに回収されてしまう。
この矛盾に気づいたことが、私が「主体的に学ぶ態度を数値化しない」という立場を取る決定的な理由でした。
高校数学という教科の特性
こうした評価観は、特に高校数学において強い意味をもちます。
高校数学は、次のような特徴があります。
- 知識・技能が積み上げ型である
- 正誤が比較的明確である
- テストの得点が学習成果を強く反映する
そのため私は、高校数学においては、教育効果の多くがテスト得点という形で可視化されると考えています。
だからこそ、主体性を別枠で評価しようとするよりも、テストそのものを教育的に設計することの方が、はるかに誠実な評価になるのではないかと考えるようになりました。
私の実践指針① 主体的に学ぶ態度は評定に使わない
現在の私の方針は明確です。
主体的に学ぶ態度は評定の材料にしない。しかし、指導改善の材料としては重視する。
振り返りや対話は行いますが、それを点数や成績に結びつけることはしません。
この方針に変えてから、生徒の振り返りシートの記述が変わりました。
「先生、この方式だと安心して間違えられます」「前は何を書くか悩んだけど、今は素直に書けます」という声が聞こえるようになったのです。
生徒は**「正しく書く」よりも「正直に考える」**ことができるようになりました。
私の実践指針② 主体性は「テスト設計」で育てる
主体性を評定に使わない代わりに、私が最も力を入れているのが主体的に考えなければ解けないテストの設計です。
数学で社会を見る問題を出す
私は、数学的な見方・考え方で社会の事象を見る問題を、意図的にテストに組み込んでいます。
2025年度には、次のような問題を出題しました。
【三角関数の応用問題】 あるアイスクリーム店の月別販売数を調べたところ、夏にピークを迎え、冬に落ち込む周期的な変動が見られました。この変動を三角関数でモデル化し、来年6月の販売数を予測しなさい。
この問題では、次のような数学的思考が必要になります。
- 季節変動という現象を周期関数として捉える
- グラフの意味を解釈する
- 数式を使って将来を予測する
ここでは、生徒は「主体的に考えなさい」と言われなくても、考えざるを得ない状況に置かれます。
ある生徒は答案に「アイスクリームが数式で予測できるなんて思わなかった。数学って現実とつながってるんですね」と書いていました。これこそが、主体的な学びの瞬間だと思います。
私の実践指針③ 小テストをWEB化し、「やり直せる学習」を保障する
主体性は、失敗できる環境があって初めて育ちます。
そのため私は、小テストの設計を次のように変えました。
- 小テストをWEB化する
- 何度でも受験できるようにする(問題は類題でランダム出題)
- 理解すれば点が伸びる構造にする
小テストを一発勝負にしないことで、間違える → 分析する → 修正するという学習サイクルが自然に回り始めます。
ある生徒は、最初のテストで30点でしたが、解説動画を見て翌日に再挑戦し、80点を取りました。「分かるまでやれるのがいい」と言っていました。
ここでも私は、主体性を評価していません。しかし、主体的に学ばなければ成果が出ない環境は整えています。
テストを「裁き」から「学びの再スタート」に変える
テストを返却して終わりにすると、学習は止まります。
私はテストを、次の学習への分岐点として位置付けています。
- 間違いの傾向を把握する
- 次に解くべき課題を示す
- 再挑戦の機会を保障する
こうした働きかけを通して、テストを「裁定」ではなく「学習の再設計」に変えたいと考えています。
おわりに ― 主体性は評価で縛らず、設計で育てる
主体的に学ぶ態度を、無理に測ろうとすると歪みが生じます。
しかし、数学の意味や思考の必然性をテストに組み込めば、主体性は自然に立ち上がります。
高校数学だからこそ、テストを工夫すること自体が、最も誠実な主体性教育である。
私はそう考え、これからも評価ではなく設計によって、生徒の学びを支えていきたいと思います。
あなたの教科では、主体性をどう扱っていますか?
もし「評定に使わない」という選択に違和感があれば、ぜひコメントで教えてください。異なる視点からの意見こそが、私の実践をより良くしてくれると信じています。


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